×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
もう震災からふた月たったのか…早いなぁ。
少しだけ思い出して書き綴ってみることにします。
少しだけ思い出して書き綴ってみることにします。
3/11。
その頃はちょうど仕事中でした。天気はそこそこ良くて、でも寒かったのを覚えています。
比較的地震には慣れてた(実家の目の前が大きい道路でよくトラックの震動で揺れる)ので、最初はすぐに終わるだろうとさして危機感はなく、社内でも、誰かが笑えるほどの余裕がありました。
しかし、様子がおかしい。地震は収まるどころか激しくなる一方。みんな倒れないようにとディスプレイを押さえていましたが、「これはヤバい」とようやく危機を感じて膝掛けと携帯を手にデスクの下へ。
私は貴重品等荷物を机の下に置いているので「自分ナイス!」とちょっと思ったりw
この時はまだ余裕があって、何か情報をと携帯からツイッターへ繋ごうとしましたが、サーバーには接続できず。そうこうしてるうちに一番大きい揺れを感じました。ガタンガタンとデスクが揺れ、それはもう絶叫マシンのようで。
それまでついていた蛍光灯も消え、部屋が暗くなると「自分はここで死ぬのか」と、多分みんな思ったのでは。
(あぁ、なんか思い出したら呼吸が辛くなってきたwww)
一応覚悟はしてたんですがなんとか地震は収まり。大怪我を負った人もなく、建物はなんとか耐えてくれたみたいです。
ただ、薄暗い仕事場は惨事です。ディスプレイがひっくり返り、プリンタは移動し、ライトテーブルのガラスは落ちて粉々に。
壁は一部が崩れ落ち、階段には亀裂。ガラスは無事だったものの、建物全体に被害を受けました。貴重品と膝掛けを持ち外に避難。
外では屋根の瓦が落ち、塀が崩れ、道路は陥没。ビックリです。どこですかここは。
地震の恐怖か寒さかなんだかもうわからないけれどとにかく震えが止まりませんでした。
しかし意外に冷静、だったのかな。これは教科書に載るね!とか天気良いし昼間でよかったねなど言ってた気がします。
あと、会社に非常時の備えがなさ過ぎなことを実感。せめてラジオくらいは置いとかないとマズいですね。
停電で仕事にもならず(それ以前にそんなことしてる場合じゃない)、非常事態なのでその日は確か…定時よりも1時間半程早く退社。
自宅を目指すも信号は消えてる、道路はヤバい、混んでて進まないとまぁ酷かったですね。
その間余震は続き、車の中で一人怯えてました。電柱倒れたらどうしよう、とか。
最終的には気を紛らわせるために歌い出しました。一万年と二千年前から愛してるぅぅぅぅぅぅ!!
それからすっかり暗くなって、このままじゃ当分家に帰れないと判断し空き地に車を止めて、徒歩帰宅決行。
その日のうちに車取りにいったんですけどね。裏道から帰ればよかった。。。
ブロック塀とか倒れてて通れないかもしれないし、ここは大きい道路で行くべきだろうという判断ミスです。
帰宅すると、近所に住む従兄妹家族、うちの家族がそろっていました。
とりあえずほっとしましたね。
その日の夜は地震の度に目を覚ましながら、就寝。ラジオは付けっぱなしで。
その後は、丁度バッテリーが残っていたDSで遊んだり、せっかくだから読書でもと嗜んでみたり。
電気は3日後くらい、水道はもうちょっとしてから復旧。電気が復旧したときはホントに安心しました。
1日目が衝撃的すぎて、他が思い出せないw
余計な話ですが、地震の数日前、会社から30缶入りのお茶を貰っていたんです。
持って帰った当時は「(私以外)誰も飲まないよw」と母は笑っていたんですが。
あのお茶は本当に助かった。貰うタイミングが良すぎてちょっと怖かったですけどね!
いまじゃすっかり元通りですが、大きな問題山積みですよね……日本大丈なのだろうか。
PR
コメント
1. なんだかね。
私はちょうど休みで家に一人の状況だったけど、それなりに冷静に対応出来てたのが今となると不思議で仕方ない。
家電のコンセント引っこ抜く余裕なんてよくあったな自分…て思う(笑)
2. やべぇw
自分より怖がってる人がいると冷静になれるんだけどね。
その点では、会社にいる時でよかったかな。